名前 |
説明 |
孫尚香 |
孫尚香(そんしょうこう)は、孫堅の娘で孫策・孫権の異母妹。劉備に嫁いだが、荊州をめぐって劉備と孫権の仲が険悪になると、呉に帰還した。 |
董卓 |
董 卓(とう たく、? - 初平3年4月23日(192年5月22日))は、後漢末期の軍人・政治家。献帝を擁し、宮廷で権勢を欲しいがままにしたが、養子の呂布に殺された。 |
大喬 |
大 喬(だい きょう、生没年不詳。正史では大橋)は、喬玄(正史では橋公)の娘。小喬の姉。孫策の妻。京劇では喬靚という名で知られる。 |
黄蓋 |
黄 蓋(こう がい、? - 215年?)は、字を公覆(こうふく)、荊州零陵郡の人物。孫堅、孫策、孫権に仕えた宿将である。 |
小喬 |
小喬(しょうきょう、生没年不詳。正史では小橋)は、橋公(三国演義では喬玄)の娘。大喬の妹。周瑜の妻。「江東の二喬」と呼ばれ、姉の大喬と共に絶世の美女とされている。 |
華雄 |
華 雄(か ゆう - 191年)は、中国の後漢時代末期の武将。華雄は呂布と共に大督護胡軫の配下として従軍し、孫堅の討伐に赴いた。 |
夏侯淵 |
夏侯 淵(かこう えん、? - 219年)は、後漢末の武将。軍の拠点間の迅速な移動やそれに基づいた奇襲攻撃、前線型武将の指揮等の後方支援を得意とした武将であった。 |
文醜 |
文醜(ぶんしゅう、生年不詳~200年)。袁紹配下の武将で袁紹軍の顔良と並び、袁紹軍の中で武勇に秀でていた。 |
顔良 |
顔 良(がん りょう、? - 200年)は、中国の後漢時代末期の武将。河北の諸侯袁紹の武将。曹操配下である孔融の言葉でも袁紹軍の勇将の代表として名前が挙げられている。 |
貂蝉 |
貂蝉(ちょうせん)とは、架空の人物であり、後漢の臣王允の養女とされる。楊貴妃・西施・王昭君と並び、古代中国四大美人の一人に数えられる。 |
郭嘉 |
郭 嘉(かく か、170年 - 207年)曹操は「わしの大業を成就させてくれるのは、この男をおいて他にいない」と高く評価し、一方、郭嘉も退出するなり「真に我が主君だ」と喜んでいた。 |
賈詡 |
賈 詡(か く、147年 - 223年)は、中国、後漢末から三国時代にかけての政治家。董卓、李傕、段煨、張繍に仕えた後、曹操の配下となり、曹魏2代にわたり重臣として活躍した。 |
劉備 |
劉備(りゅうび)は後漢末から三国時代にかけて活躍した武将。蜀(蜀漢)の初代皇帝。諸葛亮の天下三分の計に基付いて蜀の地を得て勢力を築き、魏・呉・蜀の鼎立の原因を作った。 |
龐統 |
龐統(ほうとう、179年 - 214年)は後漢末期に劉備に仕えた人物。「臥龍」と呼ばれた諸葛亮に対して、同じ軍師中郎将に任命され「鳳雛」と称せられた。 |
龐徳 |
龐徳 - 字は令明。西涼の馬騰に仕えた武将。後に張魯、曹操に仕える。 銅の大薙刀を自在に扱い、数々の武功を立てた。 |
典韋 |
典 韋(てん い、? - 197年)は、中国の後漢末に曹操に仕えた人物。酒や食事を好み、その量は常人の2倍もあったと言われている。大きな双戟と長刀などを愛用し、夏侯惇の配下となってからは、戦功を挙げ、司馬の位まで昇進した。 |
魏延 |
魏 延(ぎ えん、? - 234年)は、三国時代の蜀漢の武将。劉表配下の親劉備派の将軍として登場し、諸葛亮の下で出世していたが、魏延は諸葛亮に対して不満を抱いていた。 |
太史慈 |
太史 慈(たいし じ、166年 - 206年)は、後漢末期の武将で、後に孫策・孫権に仕えた。身の丈は七尺七寸(約177cm)で武勇に優れ、弓を扱えば百発百中の名手であった。 |
夏侯惇 |
夏侯 惇(かこう とん、? - 延康元年(220年)三国時代の武将。曹操からの信頼が最も厚かった武将で、曹操の寝室への自由な出入りが唯一許されていた。 |
陸遜 |
陸 遜(りく そん、183年 - 245年)は、中国三国時代の呉の武将、政治家。名をあげ、軍政両務における呉帝国前期の重臣として重用されたが、晩年は孫権と対立した。 |
鐘会 |
鐘会 (しょうかい)の先祖は楚漢戦争で活躍した楚の将軍鍾離昧とも言われている。並外れて智勇に優れた人物であったため、若くして魏の将軍として重用されることとなった。 |
馬超 |
馬 超(ば ちょう、、176年 - 222年)は、三国時代の蜀漢の武将。剛力の持ち主。雄姿から「錦馬超(きんばちょう)」として称えられ、五虎大将軍の一人に選ばれたとされている。 |
甘寧 |
甘 寧(かん ねい、生没年不詳)は、後漢末、孫権に仕えた武将。侠客から足を洗った呉の武将で荒々しい性格。しかし、優れた計略を持ち、士人を敬い、手厚く猛者たちを育てた。 |
孫策 |
孫 策(そん さく、175年 – 200年)は、後漢末の武将。容姿端麗で、人との会話を好み闊達な性格。少年の頃に同年の周瑜と知り合い、孫策の死までその友情は続いた。 |
黄忠 |
黄 忠(こう ちゅう、 ? - 220年)は、後漢末期から三国時代の将軍。劉備に仕え、益州や漢中の攻略等で活躍した。三軍筆頭の勇者と評された勇将である。 |
張遼 |
張 遼(ちょう りょう、169年 - 222年)は、後漢末期の丁原・何進・董卓・呂布、末期は魏に仕えた武将。魏将の中でも極めて人気が高い武将の一人である。 |
鄧艾 |
鄧 艾(とう がい、しさい - 264年)は、三国時代の魏に仕えた軍人。農政官から身を挙げた鄧艾は多くの人々に慕われ、彼の死後多くの鄧艾廟が作られ、一部は現存する。 |
張飛 |
張 飛(ちょう ひ、? - 221年)は、三国時代に蜀漢に仕えた武将。関羽・張飛の二人は、一騎で万の敵に対する武勇があると賞賛され、一世を風靡する剛勇の持ち主であった。 |
呂布 |
呂 布(りょ ふ、? - 建安3年(198年))は後漢末期の武将。群を抜く武勇を誇り、腕力が常人よりもはるかに強く、弓術・馬術にも秀でていたが、節操がなく物欲の強い性格であったと言われている。 |
周瑜 |
周 瑜(しゅう ゆ、175年 - 210年)は、後漢末期の武将。知略・武略に優れ立派な風采でもあり、「美周郎」と評された。その才能は曹操や劉備からも恐れられるほどであった。 |
曹操 |
曹 操(そう そう、155年 - 220年)は、中国後漢末の武将、政治家。優れた戦略家・軍略家であり文章家でもあった。兵書『孫子』を現在に残っている13篇に再編したのは曹操である。 |
関羽 |
関 羽(かん う、? - 219年)は、蜀(劉備)に忠義を尽くした武将。武勇から曹操が義理堅いと評した事で、後世の人間が神格化し関帝(関聖帝君・関帝聖君)とし、47人目の神とした。 |
趙雲 |
趙 雲(ちょう うん、? - 229年)は、三国時代の蜀に仕えた軍人。趙雲は身長八尺(約184cm)、姿や顔つきが立派で「白龍」(はくりゅう)という白い駿馬を愛馬にしていた言う。 |
司馬懿 |
司馬 懿(しば い、179年 - 251年)は、三国時代魏の武将・政治家。魏において功績を立て続けて大権を握り、西晋の礎を築いた人物。日本では諸葛亮のライバルとされている。 |
諸葛亮 |
諸葛 亮(しょかつ りょう、181年 - 234年)は、三国時代の蜀漢の政治家・武将・軍略家・発明家。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、「伏龍、臥龍」とも呼ばれていた。 |
孫権 |
孫権(そんけん)は、呉を建国した初代皇帝。三国時代の君主の中で最も長命だった。よく並べられる曹操、劉備とはおよそ一世代下の人物にあたる。 |